神戸地方裁判所 昭和56年(ワ)1490号 判決 1985年1月31日
原告
井上繁三
原告
井上加代
原告
井上鉄藏
右三名訴訟代理人
本田卓禾
被告
神戸市
右代表者市長
宮崎辰雄
右訴訟代理人
奥村孝
鎌田哲夫
中原和之
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、各金一一〇〇万円及び各内金一〇〇〇万円に対する昭和五三年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者)
原告井上繁三(以下、原告らについては姓を省略する。)は訴外亡井上八重子(以下「八重子」という。)の死亡当時その夫であつたものであり、原告加代及び同鉄藏は、同繁三と八重子との間の子である。
被告は神戸市立中央市民病院(以下「被告病院」という。)を開設経営し、産婦人科医、内科医、外科医等を雇用して診療にあたらせている。
2 (八重子の死亡に至る経緯)
(一) 八重子は昭和四六年五月一二日被告病院産婦人科で受診したところ、子宮筋腫と診断され、同月一七日同病院に入院し翌一八日手術(以下「初回手術」という。)を受け、経過順調により同年六月一六日同病院を退院した。
(二) 右退院に際し担当の高島医師は、原告繁三に対し八重子の病気がS字結腸癌であつたことを説明するとともに、八重子に対し退院後も同病院産婦人科の浅野医師の指示に従つて五年間定期的に同医師の診察を受けるよう指導した。
(三) そこで八重子は、浅野医師の指示に従い、同月から同四八年五月までの二年間は毎月一回、その後同五一年五月までの三年間はほぼ二か月に一回同病院に通院して同医師の診察を受けたが、同医師の診断によれば、右の期間癌の再発や転移の徴候はなく、異常は認められないとのことであり、同五一年五月の診察時には、その後通院する必要はない旨告知された。
(四) しかし、原告加代が浅野医師に対し診察の継続を依頼したところ、同医師もこれを了承し、八重子はその後も同五三年一月一八日までの約一年八か月の間ほぼ三か月に一回同病院に通院して同医師の診察を受けたが、同医師の診断によれば、右期間も癌の再発や転移の徴候は認められないとのことであつた。
(五) ところが、八重子は同年二月六日関西労災病院で受診してX線検査を受けたところ、相当病状の悪化したS字結腸癌に冒されている旨診断され、同年三月八日被告病院において手術(以下「第二回手術」という。)を受けたが、S字結腸に顕著な癌があつたほか癌性腹膜炎をひき起こし、さらには肝臓にも癌が転移していたため、すでに手遅れで根治手術を受けることはできず、結局同年一二月二〇日癌のため死亡した。<以下、省略>
理由
一当事者
請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。
二八重子の死亡に至る経緯
1 請求原因2項の事実は当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ<る。>
(一) 八重子は昭和四六年五月一二日被告病院産婦人科外来で受診し、診察にあたつた浅野医師(産婦人科部長)に対し、同四三年以来時々おこつていた下腹部痛がそのころ激しくなりまた月経出血量が多くなつた旨を訴えた。浅野医師は診察の結果、子宮が後屈しており、子宮体に凸凹のある硬い手拳大の腫瘤を触れたことから子宮体部筋腫と診断し、八重子に手術を受けるよう勧めた。八重子は同月一七日手術のため被告病院婦人科に入院し、高島医師がその担当医となつた。
翌一八日浅野医師が高島医師の介助のもとに八重子の開腹手術をしたところ、子宮に接してそのすぐ左後方のS字結腸に鶏卵大の硬い腫瘍があり、子宮及び骨盤腹膜と癒着しており、S字結腸癌と認められたが、これは外科の専門領域に属するものであるため、浅野医師は直ちに同病院外科の黒木医師を招いてその意見を徴した。その結果、相当進行したS字結腸癌であるので癌組織を完全に摘除することは困難であると予想されたものの、これを試みることとなり、浅野医師が引続き執刀して、S字結腸を腫瘍を含めて広く切除したうえ結腸・直腸端々吻合術を行つた。その際浅野医師は、腫瘍が子宮部の腹膜と癒着していたため子宮及び両付属器も切除したほか、付近リンパ節の廓清も行い、また腫瘍と接していた直腸の漿膜についてもかなり肥厚しており浸潤のおそれがあつたため切除した。
以上のとおり、八重子の初回手術時のS字結腸癌は相当に進行したものではあつたが、これに対して根治的な手術が施行されえたもので、浅野医師は手術終了直後に原告加代に対しその旨を説明するとともに、しかしなお再発や転移を来たすおそれがあることについても説明を行つた。
(二) 八重子は右手術後順調な経過をたどり、同年六月六日被告病院を退院した。
手術後に行われた摘出物の組織診断の結果、S字結腸の腺癌であつたことが確定されたが、摘出リンパ節の検査結果ではこれに転移は認められなかつたところ、八重子の担当医であつた高島医師は、右退院の際原告繁三に対しその旨を説明し、さらに同原告及び八重子に対し、退院後も五年間は通院の必要がある旨を告げ、まず最初は毎月一回浅野医師に受診し、その後も同医師の指示に従つて定期的に同医師に受診するよう指導を行つた。
右の退院後の定期検診は、八重子の癌再発の発見が第一の目的であり、結腸癌については本来は外科、特に消化器外科の専門分野ではあるが、八重子の場合は、初回手術時にS字結腸腫瘍が子宮部の腹膜と癒着していた所見からして、再発するとすれば癌性腹膜炎として現われる可能性が最も強く、その部位からいつて総合的な腹部触診に熟練している産婦人科医の方が早く発見できると考えられたため、産婦人科部長の浅野医師がこれにあたることになつたものである。
(三) 八重子が本件通院期間中被告病院産婦人科外来を受診した日は、別紙通院経過一覧表の「受診日」欄記載のとおりであり、各受診日に行われた診察方法や検査等については同表の「診察方法」欄に、八重子に与えられた薬剤については同表の「薬剤」欄に各記載のとおりであつた。
右各受診日に診察にあたつたのは、同四六年六月一九日、同年一二月二二日、同四九年二月一三日、同五二年一月一七日及び同年一一月二二日を除き、すべて浅野医師であつた。
また、右薬剤欄記載の薬剤のうちソルベンは緩下剤であつて、これは当該各受診日に八重子が便秘ないし排便障害を訴えたため投与されたものである。
なお、同五一年五月一〇日の受診をもつて当初指導のあつた五年間の定期検診は終了したが、これ以降も検診が続けられたのは、原告加代が浅野医師に対し引続き八重子を診察するよう申出、同医師もこれを了承したためであり、同医師としてはその後の検診についても八重子の癌再発の発見を目的として行つていたものであつた。
(四) 浅野医師は、本件通院期間のうち最初の二年間は特に癌性腹膜炎に注意して八重子を診察していたが、異常を認めず、その後も本件通院期間の最後に至るまで、八重子の骨盤腹膜腔に腫瘤を触れなかつたほか、他にも特に異常を認めず、初回手術から五年後の生存を確認したころからは八重子の癌を完治しえたものと判断していた。
しかし、八重子は通院開始後五年を経過したころに体調が思わしくなくなり、そのころの受診日に原告加代が浅野医師に精密検査を申出たが、同医師は八重子が完治しているとして特に従前と異なつた診察ないし検査はしなかつた。同原告は、その後八重子の体調が再び思わしくなくなつたため同五二年六月六日の診察時にも精密検査を申出、さらにその後はもち直していた八重子の体調が再度悪化したため同五三年一月一八日の診察時にも精密検査、特にX線検査の実施を申出たが、同医師はいずれの場合も特に従前と異なつた診察ないし検査はしなかつた(なお、原告加代が浅野医師に八重子の精密検査を申出たのは、以上の三回のみであつた。)。
(五) 原告らは、右のとおり八重子の体調が悪化しているのに浅野医師がX線検査もしてくれなかつたため、他の病院においてこれを受けることとし、同年二月六日関西労災病院で注腸造影によるX線検査を受けさせたが、その結果を原告繁三及び同加代が聞いたところ、S字結腸に癌ができており、かなり大きくなつているので、すぐ被告病院でみてもらうようにとのことであつた。
そこで、右原告らは同月一五日浅野医師に右X線検査の造影フィルムを見せたところ、同医師は同フィルムにおいてS字結腸に相当な狭窄を認め、癌であるとすれば相当に進行しているものと考えられたので、被告病院外科を受診するよう指示した。
八重子は同月二〇日同病院外科を受診し、同月二五日手術のため同病院消化器センターに入院した。
右入院時の八重子に対する問診の結果によれば、八重子は同五二年一一月末から腰痛を覚え、また同五三年一月以来便量が少なくなつて腹部膨満感を来たし、時に血便をみるようになつたものであり、右X線造影フィルム及び被告病院で同年二月二三日実施した八重子の消化管内視鏡検査の結果により、下行結腸からS字結腸への移行部、肛門から二〇センチメートルのところに透視上5.5センチメートルの長さの全周性ボールマンⅢ型の癌が存在することが確認された。
(六) 同年三月八日被告病院外科の小西医師の執刀により第二回手術が施行された。
その開腹所見によると、S字結腸が総腸骨動脈を超える直上に腫瘤があり、前壁漿膜への浸潤が肉眼的に確認されたほか、周囲の腸間膜にまで浸潤が及んでおり、腫瘤は小児手拳大で、上方は腹部大動脈の左側に位置し総腸骨動脈分岐部から約三ないし四センチメートル尾側にまで伸びており、腫瘤後面において総腸骨動脈を抱き込んでいた。また、肝臓の右葉に鶏卵大の転移巣が認められたほか、大動脈周囲のリンパ節も腫大し、腹腔動脈周囲のリンパ節も大きくて硬く、明らかに転移陽性と考えられた。
小西医師は以上の所見から、右腫瘤等を切除する根治的手術を行うことは不可能と判断し、人工肛門造設術のみを施行して手術を終えた。
そして同医師は、右手術後原告らに対し八重子の命はあと半年くらいのものである旨を告げた。
(七) 八重子は第二回手術後同年五月二九日いつたん被告病院を退院し、自宅で静養していたが、食欲不振等から全身衰弱を来たし、また腹痛も激しくなつたため、同年一〇月二八日再び同病院消化器センターに入院し、同年一二月二〇日同病院において死亡した。
なお、八重子は大正一一年四月二五日生れであり、右死亡時において五六歳であつた。
三浅野医師の過失
1 <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ<る。>
(一) 大腸癌とは大腸に原発した上皮性悪性腫瘍であるが、その大部分は乳頭状ないし管状の腺癌で、多くのものが限局的に発育し、かつその発育もゆつくりとしているため、胃癌などに比べると早期発見が遅れた場合でも治療成績はかなりよい。
大腸癌の進行は、腸管に沿つて広がるよりは粘膜に対し直角に進む傾向が強いため、腸管の外側に出てリンパ節に転移することも多いものの、大腸癌のリンパ筋転移率は他の癌と比較すると低く、特に結腸癌では直腸癌と比べても癌の大きさの割にはリンパ節転移が少なく、リンパ行性の遠隔転移も起こりにくい傾向にある。しかも、結腸癌については、原発巣を含む腸管の切除及び所属リンパ節の廓清のいずれについても容易、かつ十分にこれを行うことができるので、結腸癌の外科手術の予後は消化管の癌の中で最も良好なものとなつており、術後の局所再発例は少なく、また手術時に早期癌であつた症例の術後再発例は極めて少ない。
しかしながら、結腸癌においても、肝臓転移を主とする血行性遠隔転移や腹膜播種による広範な癌性腹膜炎を起こしている場合には、外科的手術その他の治療法によつてこれを根治させることは極めて困難であり、しかも、これらの転移に対する有効な予防法が未だ開発されていない現状にあるため、手術時に進行癌であつた症例については、根治手術が施行された場合でも術後にこれらの転移再発を来たし不幸な転帰をたどる例も少なくない。
(二) 癌研究会付属病院外科における昭和二一年から同五〇年までの結腸癌の症例三七〇例(いずれも単発癌の症例)についての治療成績の報告によると、三七〇例のうち治癒切除が可能であつた二八〇例の五年生存率は72.9パーセントであり、そのうちS字結腸癌の治癒切除例一五五例の五年生存率は78.7パーセントであつた。この成績は胃癌などについての五年生存率と比べると、かなり良好であるといえる。しかし、右結腸癌の症例のうち同四六年までに根治手術後の再発が確認された例が三五例あり、その中では血行性転移再発が五三パーセントと最も多く、次いで播種によるものが四〇パーセントと多く、リンパ行性転移再発及び局所再発はそれぞれ九パーセント及び六パーセントであつた。
また、国立がんセンター外科における大腸癌入院症例七九五例についての治療成績の報告によると、五八九例に根治的切除が行われたが、そのうち二三〇例が同五三年までに死亡しており、その中で明らかな癌再発死亡であるものが一五四例を占めている。S字結腸癌については、一七〇症例中一二二例に根治的切除が行われたが、そのうち一七例が明らかな癌再発死亡の転帰をたどつている。右一七例のうち、局所再発が認められたものは七例であり、局所再発が認められなかつたものでは、肝転移例が九例、癌性腹膜炎が五例と多く、肺転移及びその他は各二例に認められた。
(三) 以上のとおり、根治手術の行われたS字結腸癌の術後再発は決して稀ではなく、術後再発として最も多い肝転移を主とする血行性遠隔転移再発例を始め、その他の再発の場合でも再発癌を根治に導くことは極めて困難であるとはいえ、大腸癌においてはかなりのものが再発しても発育が緩徐で、また遠隔転移も比較的遅発で最初に比較的限局しているものがあり、これを早期に発見して切除すること等によつて根治は非常に難しいとしても延命の効果が期待できるので、術後の追跡検診(フォローアップ)が重要であるとされている。
また、大腸においては、他の臓器に比して癌の多発率が多いとされており、異時性多発癌も少なくなく、これは早期発見により根治も可能であるので、この点からも術後のスォローアップが重要であるとされている。
(四) しかしながら、本件通院期間当時においては、大腸癌の術後フォローアップについて、いかなる症例に対し、いかなる期間どのような間隔で、いかなる診察ないし検査方法を行うべきか等を論じた文献もなく、術後フォローアップの具体的方法について一般的医療水準とみられる標準的な方式も存在しなかつた。
大腸癌についての当時の医学的状況をみると、大腸癌の症例が増加しその診断と治療とが発展しつつあつたのに伴つて日本大腸癌研究会が発足したのが同四七年であり、内科、外科及び放射線科の臨床各科と病理その他の基礎的研究者との意見交換等に基づいて大腸癌取扱い規約が作成され公表されたのが同五二年であつた。この間大腸癌の診断技術は著しく進歩し、X線診断においては大腸全域にわたり診断に耐えうる二重造影像を得る技術が研究され、同五三年には一般化しつつあり、また内視鏡診断においてもそのころまでには、結腸ファイバースコープの発達とスコープ挿入技術の研究により大腸全域にわたつての内視観察が各施設において比較的容易に行いうるようになつていた。このような検査法における発展は大腸癌の組織発生の究明にも連なり、同年ころまでにも大腸癌に関する多くの研究発表が行われていたが、これらの多くは大腸原発癌に関するもので、再発ないし転移について論じたものは少なく、また術後フォローアップの重要性が強調されながらも、その具体的方法論については発表も極めて少なく、これを論ずるのに必要な基礎自体が未だ十分な状況には達していなかつたものといえる。
(五) もつとも、大腸原発癌の早期診断法としては、本件通院期間当時においても注腸造影によるX線診断法、さらには組織診断法と組合わされた内視鏡診断法の二つの方法が一般的医療水準として確立されていたもので(なお、原告らの主張するその他の早期診断法は、当時においては大腸癌の早期診断方法として医療水準上確立されていなかつた。)、再発癌について特に異なつた有効な診断法があるとはされていなかつたところからすると、大腸癌の再発発見のために検査を行うとすれば、右二つの診断法によるとするのが一般的な考えであつたといえる。
(六) ところで、大腸癌は管状臓器に発生するという特殊性から管腔の狭窄を起こしやすく、特にS字結腸などでは管腔がもともと比較的狭いうえ、内容物もかなり固形化するので、便通異常の症状を発現するのが通常であり、血便も容易に現われやすい。したがつて、患者からこれらの症状の訴えがあつたときには、S字結腸癌等を疑う必要があるものとされている。
(七) そして、浅野医師も本件通院期間当時、S字結腸癌の術後フォローアップ中の患者から右のような症状の訴えがあつた場合には、右二つの診断法を実施すべきものと考えていた。
2 以上の事実関係を前提に浅野医師の過失の有無について判断する。
(一) 一般に、医師は人の生命及び身体の健康管理を目的とする医療行為に従事するものであるから、その業務の性質上高度の注意義務が要求され、診療に際しては、その当時の一般的医療水準に基づいて患者の病状の把握に万全を期するべき義務があるものというべきところ、浅野医師が本件通院期間中八重子を定期的に診察していた主たる目的は、八重子の初回手術時のS字結腸癌が進行癌であり、根治手術を行いえたもののなお再発や転移を来たすおそれがあつたため、再発や転移を来たした場合にこれを早期に発見することにあつたことが明らかであるから、浅野医師には本件通院期間当時の一般的医療水準に基づいて適宜相当な診察を行い、必要な場合には相当な検査を実施して右早期発見に努めるべき注意義務があつたものというべきである。
(二) ところで、原告らは、浅野医師には本件通院期間中八重子に対して原告らの主張する癌の早期診断方法を適宜定期的に実施しなかつた過失がある旨主張するが、本件通院期間当時においては、S字結腸癌の術後フォローアップの具体的方法、特にいかなる診察ないし検査方法をいかなる間隔で行うかについて、一般的医療水準として確立されたものは存在しなかつたのであるから、浅野医師が原告ら主張の癌の早期診断方法を実施しなかつたことをもつて、直ちに右(一)記載の注意義務に違反した過失があるものというべきではない。
(三) しかしながら、浅野医師には次の点において右注意義務に違反した過失があるものといわざるをえない。
すなわち、本件通院期間当時において、S字結腸癌の術後フォローアップ中の患者から便通の異常や血便の症状の訴えがあつた場合には、医師としては再発の可能性を疑い、その有無を確認するため、注腸造影によるX線診断法ないしは組織診断法と組合わされた内視鏡診断法を実施すべき注意義務があつたものと解するのが相当であり、また右のような症状の訴えはないにしても患者側が体調の悪化を訴えて精密検査の申出をしたような場合には、その体調の悪化が明らかに癌再発以外の原因によるものと認められるときは格別、そうでない限り同様に右各診断法の双方又はいずれか一方を実施すべき注意義務があつたものと解するのが相当であるところ、八重子は浅野医師に対し、本件通院期間中初回手術後間もない同四六年六月二八日を除けば、同四七年五月二二日、同年六月一九日、同四八年九月三日、同年一一月二一日及び同五三年一月一八日の各受診時にそれぞれ便秘ないし排便障害を訴え、また、本件通院期間中最初の五年を経過したころ(同五一年五月一〇日又は同年八月三〇日)及び同五二年六月六日の各受診時には、原告加代が八重子の体調が悪化したとして浅野医師に精密検査の申出をしたことが明らかである。
したがつて、浅野医師としては、右各時点において速やかに右二つの診断法のうち少なくとも一方を実施すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを行わなかつたのであるから、この点において過失を免れないものというべきである。
なお、被告は、八重子から特別な訴えがなかつた以上、浅野医師の行つた腹部触診等の診断法で十分であり、また術後五年以上を経過した時点では患者から特別な訴えがない限り経過観察だけでよいとされていたからX線診断法等を行う義務はなかつた旨主張するが、本件においては、以上のとおり被告のいわゆる特別な訴えがあつたものとみるべきであるから、被告の右主張は採用の限りでない。
(四) 次に、原告らは、浅野医師には原告らに対し八重子に癌が再発する危険性を説明し、八重子が内科医、外科医等の専門医から原告らの主張する癌の早期診断方法の実施を受けられるようにすべき注意義務を怠つた過失がある旨主張する。
しかしながら、浅野医師が初回手術終了直後に原告加代に対し、八重子に癌の再発ないし転移のおそれがあることについて説明を行つたことは、前記(二2(一))認定のとおりである。
また、本件通院期間当時におけるS字結腸癌の術後フォローアップに関する医療水準の状況に照らすと、浅野医師が当然に八重子について、内科医、外科医等から原告らの主張する癌の早期診断方法を受けられるようにすべき注意義務を有していたものとは認め難い。
確かに、浅野医師は産婦人科医であつて、結腸癌を専門分野とする科目の医師ではなかつたが、浅野医師が八重子の診察にあたることとしたことについては、八重子自身には癌であつたことを告げていなかつたことも一つの理由となつたことを窺うに難くないうえ、同医師が外科医その他の専門医の協力を必要とするような事態を生ずれば、その時点でこれを求めれば足りることであるから、浅野医師としては、必ずしも八重子を内科、外科等へ通院させる義務はなかつたものというべきである。
四因果関係
そこで、さらに前記の事実関係を前提に浅野医師の右過失と八重子の死亡との間に因果関係が認められるか否かについて検討する。
1 まず、浅野医師が同五三年一月一八日の時点において速やかに前記二つの診断法のいずれか一方でも実施しておれば、八重子の癌を発見しえたであろうことは容易に推認することができる。
しかし、その時点で癌が発見されていたとしても、八重子は早晩死亡を免れなかつたであろうことについてもこれまた容易に推認することができるから、結局同医師が右時点において右各診断法を実施しなかつたことと八重子の死亡との間には因果関係がないものといわざるをえない。
2 次に、浅野医師が同四七年五月二二日、同年六月一九日、同四八年九月三日、同年一一月二一日、同五一年五月一〇日(又は同年八月三〇日)及び同五二年六月六日の各時点において速やかに右各診断法を実施しなかつた過失との間の因果関係についてであるが、これを判断するためには、第二回手術時における八重子のS字結腸癌が初回手術時のそれの再発したものであるのか、それともその異時性多発癌であつたのか、そのいずれであるとしても、癌が発育し右各診断法によつて病変をとらえることが可能になつた時期はいつごろなのか、またその時点において果たして肝臓への転移ないし癌性腹膜炎を生じていなかつたのかどうか、仮にこれらが生じておらず局所に限局していたとしても、それが初回手術時の癌が再発したものであつた場合、当時の医療水準に照らしその根治の可能性はどの程度であつたのか、少なくとも以上の各点が問題とならざるをえない。
ところが、本件においては、全証拠をもつてしてもこれらの点を解明することができないものであつて、結局、浅野医師の右過失と八重子の死亡との間に因果関係があることについては、その立証がないものというほかはない。
因果関係に関する原告らの主張は、右の各点についての仮定に基づくものであるか、あるいは医学的な裏づけを欠く単なる推測の域を出ないものであつて、これを肯認することはできない。
五結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は、予備的な債務不履行に基づくものを含め、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(中川敏男 上原健嗣 小田幸生)
通院経過一覧表<省略>